多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

日本最古の架線柱

日本最古の架線柱

 

毎日通勤で阪堺電車(通称:チンチン電車)が走る道を通っているのですが、そこにとても古い電柱が立っています。管理のためか建てられた年月が記されていて、なんと昭和10年1月。西暦で1935年ですから87年前に建てられた。

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阪堺上町線 帝塚山四丁目駅付近

電柱ではなく、正しくは電車に電力を供給するために建てられた「架線柱」というのだそうです。先端部分の鉄骨はだいぶ腐食が進んでいますが、老朽化で危険なことはないそうです。

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確かに昭和10年1月とある 「北帝」というのも良きかな

このタイプの架線柱が上り側と下り側の両方に、阪堺上町線の北畠駅から帝塚山四丁目駅までずっと続いています。

 

これよりもっと古い架線柱が同じく阪堺線住吉大社近くの住吉鳥居前駅付近にあります。ここも毎日自転車で通るところです。

 

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阪堺電車 住吉鳥居前

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阪堺電車 住吉鳥居前

この架線柱にもラベルがつけられていて、表記されている年月はというと、なんと明治44年。西暦でいうと1911年、今年は2022年なので今から111年前から鎮座する御柱。明治の遺産といってもいいんじゃないでしょうか。

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明治44年7月

阪堺電車(正式名称:阪堺電気軌道)ですが、走っている車両も面白いです。古いものは1928年製の車両がまだ現役で走っていたり、2020年型のかっこいいい最新車両もあったりします。そして何より目を引くのが「ボディ広告」を施した電車がたくさんあって面白い。パンダとか黄金糖とか。そういった統一感のないのがいいですね。

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パンダはアドベンチャーワールドのラッピング広告

こんな大阪の真ん中に100年以上前の鉄柱が立っていて、しかも開業当時から今も現役とか、阪堺電車はなにかと奥が深くて面白いです。

 

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これ以上は並走できない

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運転席はかっこいい(2016年撮影)

 

雲が流れる

雲が流れる

 

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流れる雲 / (標準広角 26mm相当)

今朝はとても美しい空。

こんな綺麗な空、久しぶりなので自転車を止めて大空に向けてスマートフォンをかざし、四角く切り取っておきました。こんなに小さいのに超広角撮影(35mm換算で13mm)までできるとは賢い(スマート)です。

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流れる雲 / (超広角 13mm相当)

煙突から漂う水蒸気の白煙と上空の風の動きが違う。その間をまた違った方向に雲が伸びています。大気中は私が思っているよりずっと何層にも重なり合う複雑な空気の流れがあるようです。肉眼では大きく見えましたが下弦の半月も映っています。

 今年の冬は例年より寒く感じ、年明けからずっと冷たい季節風が吹いて毎日どんよりとした日が多い。朝の通勤でも自転車を漕ぐのも一苦労。大和川の堤防沿いのサイクリングロートは強風を遮るものが全くないので、まともに風を食らってしまう。空気抵抗との戦いです。

 

いつも、どこかにあるかもしれない何かを見つけようと、気がつけば空を仰ぎ探してしまう。それは虹だったり彩雲だったり、綺麗な真っ白な雲だったり感動的な夕焼けだったり。先週の朝はサンピラーが見えたのですが撮り損なってしまい大変後悔しています。

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2022年1月2日に現れた彩雲

お正月はコロナ禍と連休がとても少なかったのでどこにも行かず過ごしいました。しかし、気温が高く天気も良かったので少しロードバイクで走った先で遭遇した彩雲。太陽に薄雲がかかっていて「これは出るんじゃないか。」と期待し待機。数分間でしたが綺麗な虹色が浮かび上がりました。

 

それは気づいていないだけ。上空では光と水や氷によってドラマチックな気象現象が日々繰り広げられる。そんな奇跡的な光景に偶然遭遇するのってとても運がいい気がして、そして何よりも感動的です。

 

「いつまでも、この空を忘れない。」などと、かっこいい声のつもりで心の中で呟きながら仕事に向かいました。

 

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突如現るニコちゃん

突如現るニコちゃん

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2022年1月20日のニコちゃん

冷たい風の中マウンテンバイクで仕事からの帰宅途中、帝塚山あたりに差し掛かった時です。遠くに見えるあべのハルカス、いつもとなにやら違うな。

 

そう、ニコちゃんマークです。確か2年前の初めての緊急事態宣言の時も同じようなことがありました。「新型コロナウイルスに負けるな」という勇気つけるためののメッセージなのでしょう。

 

仕事で疲れた帰り道でしたが、急にテンションが上がって近くまで寄り道してアップの写真まで撮って帰りました。

 

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よく見ると。。。

よく見ると口角の部分、カーテンを片側半分だけ閉じて表現しているのがわかりました。素晴らしい、でもこういうことができるということは、マリオット都ホテルは全室空室ということになります。😱

ちなみに2年前、20202年4月の一番最初の緊急事態宣言の時の画像がこれです。

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2020年3月25日のニコちゃん

よく見ると2年前の写真と少し違っていて、今回はニコちゃんマークのかたわら「L」の文字が現れています。おそらく、Love の「L」そう、愛というメッセージが込められているのだと解釈しています。(勝手に)

 

しかし、今回な何のタイミングかと考えると、大阪府の「まん延防止等重点措置」の発布に伴う大阪府民に向けてのメッセージということだと受け止めています。(勝手に)

 

でもこのマーク、「ニコちゃんマーク」というのが一般的な呼び名なんでしょうか。私が幼稚園ぐらいの時には既に存在していた記憶があります。結構古い。スマイリーやラブピースという呼び名もあるそうですが、いずれも反戦や平和というメッセージが込められているのでしょう。

 

ちなみにニコちゃんマーク以外で星マークの時もありました。こっちの方がカーテンの閉め具合の調整が難しそうです。だれが発案と制作したのでしょうか。面白いです。

 

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2020年3月30日の星マーク

2年前のハルカスメッセージ依頼、コロナ収束に向かいホテルの客室のあかりが少しずつ灯るようになっていた頃、ポツポツとあかりが点いているハルカスを見ては目を細め、無理矢理メッセージのような記号を読み取ろうとしますが、実際には何もなくて、ただの点在する部屋の明かりにしか過ぎないのでした。

 

今回のニコちゃんマーク、朝まで点灯していました。

 

 

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メガネ屋さん、カメラ屋さん

メガネ屋さん、カメラ屋さん

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来年10周年のハルカス

今住んでいるマンションに引っ越したのが30歳の頃。もう24年も前です。

越してきた当時は商業施設は近鉄百貨店、天王寺MIO、JRステーションビルにアポロビル。ちょっと外れてあべのベルタでした。今はQ'sモールが建っていますが、以前は阿倍野座商店街だった。懐かしいです。

 

それから近鉄のHoopができてandができて、阿倍野ハルカスができて9年。続いてQ'sモールが出来た頃には阿倍野もすっかり変わってしまいました。(悪い意味ではなく)。ここ数年でも、あのどことなくノスタルジックだった天王寺公園も「てんしば」としてリニューアル。ドッグランやらフットサルやらおしゃれなお店もたくさん出来て、どんどん新しいものに置き換わっていきます。そして、訪れる人々も増えてずいぶん賑やかになったものです。阪堺線チンチン電車)の始発駅も綺麗になりました。

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阪堺電車 阿倍野

そうなってくると、昔からある阿倍野筋商店街はというと、すこし時代の流れに取り残された感じはあるとは思いますが、それでもまだまだ昭和の良き時代が残っている感じがして、私は個人的には好きです。少し商店街の路地裏的なところに入ると昔ながらのお店や、「こんな店あったんだ」と、ちょっと変わった新しいお店が出来ていたりしてなかなか面白かったりするぐらいです。

 

去年の暮れのある日のこと、読書用の眼鏡の蝶番の部分の小さなネジが外れてしまい、精密ドライバーでなんとかしようと試みたのですが、使われているネジが小さ過ぎてサイズが合わず回せない。それ以前に、そもそも今なおそうとしている老眼鏡(笑)がかけられないので細かい作業ができないという事態に陥ってしまいました。これ以上どうにもできないので近くの商店街の眼鏡屋さんに修理お願いしようとお店を訪ねることにしました。

 

お店の前のショーウインドウには(失礼かもしれませんが)もう何年前からそこに佇んでいるのだろうかという感じが否めない、磨き込まれたキラキラした時計がいくつか飾られています。店内に入ると店舗の奥につながった居住スペースから気の良さそうな年配の店主が現れました。事情を説明すると「ああ、これですか。ねじちいさいもんねえ。」といって対応していただきました。とても優しそうなひとです。

 

ショーケースの中は指輪だったりネックレスだったりがディスプレイされています。壁には掛け時計や置き時計もあります。ショーウインドウの裏側がちょうど作業台になっていて、「どれどれ」といって白熱球のデスクライトを点けて目にルーペをあてがい、たくさんある工具の中から細いドライバーを選びだし、いとも簡単にネジを締めてなおしてくださいました。その後、レンズに何か塗り込んでセーヌ革のようなクロスで綺麗に磨き上げてもらいました。

 

彼はずっとあそこの作業机に座っていくつもの時計や眼鏡を修理してきたんだろうな。今はもう眼鏡やアクセサリー、時計なんて街のお店で買う人がどれだけいるだろうか。きっと、家電の量販店の方が品揃えも多く価格も安い。もっといえばネットで商品を吟味し、最安値の商品を探して購入する。今はもうそれが当たり前になってしまっています。でも、きっと昔は違っていたのでしょう。

 

時計も眼鏡も当時は、とはいってもほんの30年ほど前までは決して安いものではなかった。私が育った小さな街の時計屋さんも宝石や眼鏡を扱い、子供が一人で入れるようなお店ではなかった。高校の入学のお祝いに祖父が時計を買えといって何万円だったかをもらった。その大金を持って初めて一人で時計屋さんに入ってキラキラした時計を選ぶのはとても緊張したし、とても大人になった気分だったことを思い出します。

 

(本当に失礼かもしれませんが)今このお店に、一日にどれだけの人が訪れるでしょうか。陳列された時計やアクセサリーは新品なのにどこか少し古いもののように見えてしまいます。見せ方の問題かもしれません。もっと今の時代を見据えて、といってももうそれはもう店主も望んでいないのかもしれません。腕利きの職人さんも兼ねていただろう年老いた店主。時代の流れといってしまえばそれまでのことなのかもしれません。しかし、たった数十年昔は違っていた。高価な商品を扱い、この店に大金を持って訪れた人々がたくさんこられたのでしょう。壁に埋め込まれた大きな鋼鉄の扉の金庫がそれを物語っているようでした。

 

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(1)

 

同じ商店街にこれも昔ながらのカメラ屋さんがあります。このお店の前を通ると、いつもずらりと並べられたフイルムカメラたちを見入ってしまいます。もうここまでくると、とある時期のカメラの歴史を語る博物学的な展示品に思えて、ここだけが時間が止まったようなショーウインドウ。当時の主力メーカーの一眼レフに混じってコダックのインスタマチックや3Dカメラ、二眼レフやマミヤの大判もあります。たぶん売り物ではないのでしょうが見ていて飽きない。

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(2)

カメラとて同じこと。銀塩写真なんてもうすっかりデジタルカメラに置き換わってしまったのも久しく、今ではデジタルカメラさえも時代の変遷を経て、今度は携帯性や使い勝手のよさ、インターネット利用の日常化によってカメラとしての役割はすっかりスマートフォンに移り変わってしまいました。仮にデジタルカメラが必要になった時も、買うことさえもスマートフォンで注文してしまう。だから街のカメラ屋さんにデジタルカメラを買いに行く人は、今はもうほとんどいないのかも知れません。

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(3)

このカメラ屋さんにも10年ぐらい前に入ったことがあります。双眼鏡が欲しくて店主のおじいさんに色々と相談に乗ってもらったり、何種類も試しに双眼鏡を触ってぞかせてもらったりしました。レンズの明るやのことやひとみ径のこと、視野範囲のことまで。現物の見え方を比較しながら教えてもらいました。そんなことを尋ねてくる人も今はほとんどいないのかも知れません。どこか得意げでこの道が好きで自分で選んで歩いてきたという印象を受けました。その店も奥は生活のスペースが見えて、ご家族でしょうかテレビの音声や話し声が聞こえてくる。

 

これもまた時代の流れとはいえ、年老いた店主がこんな時代遅れのカメラを誇らしげに飾っているこのショーウインドウの光景が、ひょっとすると近い将来もう見れなくなるのかも知れないと思うと、寂しさともいえない、悲しみとは違う、懐かしき良き時代の記憶を持ち続けながら中年世代になってしまった私自身が今、私たちより大人だったひとつ上の世代の人々の語られるべき大切な思いを、少しずつ失いつつあるのが残念に思うのです。

 

いろんなこと教えてもらっておいて、礼をいって何も買わずに店を出て、結局双眼鏡の購入はAmazonで送料無料で数パーセント値引きのあるNikonを買ってしまうのですから、時代に抗えないのは私のほうなのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

メトロポリタン美術館展

メトロポリタン美術館

 

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メトロポリタン美術館展、開催時はまだ秋でした。

家からそう遠くない、散歩がてらに出かけられる範囲内に美術館があるというのは喜ばしいことです。家から近いという好条件にありながら、だからこそいつでも行けると思ってしまい、気がつけば開催期間は翌日まで。

 

昨年の秋から開催されている「メトロポリタン美術館展/西洋絵画の500年」を見るため大阪市立美術館に足を運びました。コロナ禍の影響で当日券のチケット購入時の混雑を避けるための入館の制限がかかり、美術館の前は列ができています。少しずつ時間を置いて前に進んでは行きますが、それでも館内に入るまで30分ほどかかりました。

 

中に入ってしまうとそれほど混雑した印象はありませんが、期間が明日までということもあるのでしょうか、人気の作品のところでは絵の前までは辿り着くまでは、人だかりはゆっくりとしか動きません。

 

ニューヨーク、マンハッタンの中のセントラルパークにある世界で最も大きい美術館。1864年にパリでアメリカ独立記念日に集まったアメリカ人が設立を提案。しかしこの時点でコレクションは一点の絵画すら所有しなかったといいます。それから基金による購入やコレクターからの寄贈で収蔵品は増えていきます。現在では300万展の美術品を所蔵するに至るそうです。

 

数百年前に描かれた作品を前にして、作者は今私がみている距離感で同じようにこの絵と向き合ったのかと思うと、急に緊張感が湧いてきて身の引き締まる思いを受けました。この位置から絵筆を持った手がキャンパスまで届いて、時間をかけて絵の具をのせていったんだなあと思うのです。

 

カラヴァッジョもフェルメールも良かったですが、今回の一番のお目当ての作品、ラ・トゥールの「女占い師」。金貨を持った老婆の話を聞いている若い男がいます。男が話に夢中になっているその隙を見て、三人の娘たちが男の身につけている貴金属を奪おうとしている。描かれた人々の視線が交錯し、盗む側が悟られないようにと男の顔色を伺う緊迫した表情と、その場の空気や手の動きが見えるかのようです。それでいて服装や肌の色使いがクリーミーで明るく華やか。どのぐらいその絵の前で行ったり来たりしたでしょうか。隅々まで見て頭に焼き付けます。とても面白い絵です。

 

ゆっくり時間をかけて見てまわり、もう一つの美術館のお楽しみはというとグッズ販売です。「女占い師」の大判ハガキサイズのカードが手頃な値段で売っていて迷わず購入。また、そのサイズにぴったりの額もあったのであわせて買うことにしました。

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今回の戦利品「女占い師/ラ・トゥーユ」

アートというものは、この世の中に存在しなくても私たちは何ら生命活動に反する事なく生きていくことができるのかも知れません。しかし、作品との出会いに感動したり、新しい自分の視点を発見したり、より豊かな人間性を育んだり、何かを考えるきっかけになったりする。作品から発せられる私たちの心に深く届くメッセージを、ゆっくりと読み解いていくことが私の中のかけがえのない時間の過ごし方です。

 

若い頃は音楽家を目指していました。苦労の果て、幸い夢は叶いましたが、そう長くは続きませんでした。すっかり作曲や演奏活動もしなくなり、耳も悪くなる一方で自分を奮い立たせる力も尽き果てしまいました。機械設計士として仕事に従事し家族を養い、もうすぐ子育ても終わろうとしています。

 

美術館を後にしてふと、もう少しわがままに自分だけのために生きて行ってもいいのではないか、と道すがら思うのです。では、何をするのかというと答えが出ない。しかし、まだ私は感動するという力は残っているのだと感じさせられた。中年になっても、若い時と同じように悩んだり、答えを求めては彷徨ったり。あの作品を残した画家たちはどんな思いの生涯だったんだろうと思いを馳せます。

 

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夜に見上げる(1)

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夜に見上げる(2)

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夜に見上げる(3)




レジ袋どうなさいますか?

「レジ袋はどうなさいますか?」

 

2020年1月に日本での初の感染者が確認されて以来、新型コロナウイルス感染症パンデミックの脅威に晒される状況が続き、もうすぐ2年が経とうとしています。ここ大阪も緊急事態宣言が昨年2020年から4回もの緊急事態宣言が発出されました。最近になってようやく感染者数も数字の上では随分減ってきた、元の生活を取り戻しつつあるかのように思えます。しかし、それでも変異種が次々と出てくる状況で終わりが見えないというのが実情ではないでしょうか。前向きではあるものの依然不安は拭いきれないのではないでしょうか。

幸いというか運良く仕事も今まで通りに何も変わらず、家族で新型コロナウイルスに感染するものも出ず、ワクチンも2回摂取済み。すこし安堵できればいいのですが、実際は緊急事態宣言が解除されても私自身休日は家で過ごすことがほとんどで、個人レベルでできる感染対策は流行のピーク時とあまり変えていません。ただ、そんな中でも耳の不自由な自分にまつわる(重くない)エピソードを残そうと思います。

 

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通天閣も夜には赤くライトアップされました

 

今回のパンデミックの中、私の生活で大きく変わったことの一つとして、誰もがそうであるように「マスクを日常的に着ける」ということでした。花粉症でマスクをしている人は年々多く見るようになっていて、それほど自分から外を見る範囲でさほど特殊な違和感を持つことはなかった。

 

しかし、自分がマスクをする、そして皆がマスクをして生活をし、職場でもどこでも顔の多くを覆われた人々同士が、お互いに意思の疎通を図り合う。それがずっと続いている。「私は着用に関して疑問を感じるのでマスクをしません」ということで「あえてしない」という人は見たことがない。まずみんなマスクをしています。それがたとえ真夏の暑さの中でもです。そういう公衆衛生を個人レベルで意識し皆で共有し合あったというのも、このコロナ禍のパンデミック以降のような気がします。

 

例えばデスクワークの仕事中、喉の調子が一時的に悪くて咳をすることも憚れるため、少し我慢して席を離れてトイレに行って咳をする。そんなことまで気遣っていました。みんながそうやってエチケットを守り、同じ空間をともにする人同士、少しでも嫌な雰囲気を作らないように周りに対して配慮している。実際には皆、マスクを着用し続けることになんの抵抗もないわけでもありませんし、不自由で不快だったりするわけです。さりとて私も煩わしくと思いながらも、世の中に同調するかのように着用を続けています。ただ、どうしても不自由で困ることもあったりします。

 

 

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今年5月の緊急事態宣言下の阿倍野界隈

私は後天的な難聴者で、片耳があまり聞こえない高度難聴者です。もう片耳は加齢に伴う聴力の低下は見られるものの、まだ機能はしているので慣れてしまえば普段の生活には特に差し支えることはあまりありません。補聴器なども使っていません。しかし電車の車内、賑わった店内など環境音と人の話す言葉が混じり合ってしまい、話し声を「聞き分ける」ことは非常に困難です。飲み会やカラオケなどの場では話す相手の会話は半分も理解できません。ですから、話されている文脈や話す相手の表情や口の動きを読むことで聞き取れない部分を予想したり、状況を捉えたりして生活をしてきました。

 

そこにきて、新型コロナウイルス感染症の拡大で皆が一斉にマスク着用を余儀なくされると、状況が変わってしまいました。もともと聞き取りにくいのに加えて、マスク越しのこもった声が聞き取れなくなっていくのです。マスクで覆われてしまうと顔の表情や口元や顎の動きが読み取れないのです。だから、聞き逃さないように聞こえる方の耳を傾けて、視線は会話相手を斜に見ながらでも聞こうと努力する。なんとなくわかったら、そうであろう言葉を復唱して「〇〇ということですね?」とひとつひとつ確認しなければいけない時もあります。発話のはっきりした人との会話は本当に楽ですが、もともと声の小さい人との会話は少し緊張しながら間違った解釈をしないようにとても気を使います。

 

そんな中、ひとつ困っていることがあります。買い物をした時のレジでの清算時です。マスク越し、加えて透明シート越しの店員さんの話す言葉が聞き取れないのです。

 

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桜が満開にもかかわらず花見は自粛モード

 

新型コロナウイルス感染症の蔓延の時期を時を同じくして、経済産業省が主導のもと、2020年7月より全国でレジ袋有料化の政策が実施されました。今回のマスクの着用率と同じように、みなさん足並みを揃えるかのようにほとんどの人が意識的にエコバックやマイバックを持参していて、取り組みが想像以上に浸透しているように感じます。あるいは、環境負荷に対する理解や意識付けが一定数深まった表れなのかもしれません。その時期から買い物のレジでの精算の際、「レジ袋どうなさいますか?」と店員に尋ねられるという、今までなかったやり取りがひとつ増えたのです。

 

通常の生活下においてマスク着用が当たり前になって以来、お店のレジカウンターでのいろんな受け答えも、聞き取りにくいながらもこなしてきました。でも、難しくはありません。尋ねられることは大体決まっています。

 

「ポイントカード(アプリ)はお持ちですか?」

「年齢確認のタッチパネルおねがいします。」(お酒をかったときですね)

 

これぐらいなら、透明シートに遮られたレジカウンター越しでも、マスクをした声の小さい店員さんであっても、おおよその話の流れでなんとなくわかるので問題はありません。それが、ひとつ問いかけが増えたまでです。戸惑い聞き返していたりしたのも最初のうちだけでした。

 

「レジ袋有料ですがご利用ですか?」

「レジ袋どうなさいますか?」

 

「いらない」という意味を込めて、手を横に小さく何度か振ればいいのです。たまに、「駐車券はお持ちですか?」という、イレギュラーが発生。全く理解できず何度も聞き直して恥ずかしい思いをしました。「えっ?、えっ?わからないです。」と聞き返すと、ゆっくり大きな声で「ちゅーしゃけn・・・」と話してくれる方は親切でありがたいです。まあ、それぐらいは仕方ないと思っています。

 

それがある日のことです。いつものように買い物をして、レジカウンターでレジ袋はいらないという意思を示すのですが、何故かレジ袋を付けてくれる店員さんがいることに気づきました。一旦もらってしまった以上、「いや、いらないです」といって返すのもどうか。こちらが文句つけているようだし、レジ袋も無駄になるかもしれません。釈然としないままレジ袋をさげて店を後にします。

 

一度だけならまだしも、何度も同じことが起きる。親切心なんだろうか。それともレジ袋有料の義務化に対する推進反対派なのかもしれない。それならレジ袋代が料金としてレシートにカウントされているのが筋が通らない。無料で店側に負担はかけられないとか。おそらく、こちら側の意思が逆に解釈されているのだろうと理解に至り、やり取りの中に不具合があったのか考えました。また同じことが起きないようにしたほうがいいのかなと思いました。別にいいか、とも思いました。

 

しかし、ひとつ考えが浮かぶのです。精算の際に持参したエコバックわざと見えるようにチラつかせ、誤解を招かないように「私はこうやってお気に入りのエコバックを持参している人です」、というのを暗に示せば齟齬は生じない。そう考えたのでした。これでこちらの意思を示せるし、やり取りのワンアクションもなくなり一石二鳥です。

 

エコバックチラ見せ&入りませんジェスチャーで、今まで以上にスムーズにレジが捗るようになりました。これは実践してよかった。間違いがない。しかし、しばらくしてなぜでしょうか、そこまで策を講じてもレジ袋に商品を入れてくれたり、レジ袋をつけてくれる店員さんがいるのです。これはいったいどういうことなんだろう?。

 

しばらくして自己解決に至ります。そうか、そもそもお店側の質問(レジ袋を相手が必要としているか否か)の内容が同じであっても、必ずしも問いがひとつとは限らないということだったことに気づいたのです。ハッとしました。想像します、きっと店員さんは「レジ袋はどうするか?」あるいは「必要ですか?」ということを問いかけてきたのではない。彼らは私にこう問いかけたのだ。きっとこうです。

 

「エコバックはお持ちですか?」

 

そうか、そういう問いもあるのだ。それは個人レベルの聞き方の違いというよりも、店舗ごとに接客時の対応が異なるということのようです。ある数店舗だけが問いかけが違うのです。「レジ袋が必要か」ではなく「エコバックを持ってきているか否か」の違いなのです。なのに何も知らない私は軽く会釈を交えて手を横に振り続けていたのだ。

きっと店員さん、わざわざエコバックを見せつけておいて、

「あなたにはこれがそう見えるかもしれないが、実はエコバックじゃないんだよ。」 

人を試しているような、ちょっと紛らわしい対応を迫られ、今後注意を要するサイクルジャージを身に纏った、ちょっと変な中年男性だと思われたのかもしれないと、かなりゾッとしてしまうのでした。

 

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カラオケ店もガマンでした

あとこれは最近の話ですが、アウトドアショップにオイル注入式携帯カイロを買いに行った際の話です。いつものように性能や価格、取扱注意事項はあらかじめ下調べして買いに行ったのに、やめておけばいいのに優しそうな店員さんとの会話をしながらの楽しいショッピングがしたいがばっかりに、「これは発熱の持続時間はどれぐらいなのですか?」と私は聞いたのでした。わかっている、6時間暖かいのは調べがついている。でも、親切な店員さん、今調べますのでといってバックヤードに戻って調べてくれのです。

 

その後、聞き取りやすい落ち着いたトーンで付属品の説明とか、どういう時に使われるかとか聞かれたり、少しやりがありました。商品そのものと対応の良さを納得して購入を伝え、レジカウンターまで誘われて行きました。

 

会員カードの提示や保有ポイントの確認、支払い方法など確認。ゆったりとした落ち着いたアコースティックギターのBGMの流れる静かな店内。駐車券か?レジ袋かエコバックか?、などと聞きのがなぬよう神経を集中させ、まだ聞こえるの右耳の指向性を対象物に照準を合わせる必要など全くありません。そうやって聞こえの問題も全くなく心良く買い物ができたと満足しました。暖かいだろうなカイロ。これで仕事中の指先の冷えが解消すればな。

 

その後、「お呼びしますので、それまで店内でしばらくお待ちください」と店員さん。なぜ待つ必要があるのかわからないが特に急ぎもないので待つことにしました。アウトドアショップでは私はいくらでも時間を潰すことが可能なのです。

 

待っている間店内を見てまわり、野外で書道が嗜めるキットがあるのだと感心していると、「お客様、お待たせしました。」といって店員さんが現れます。そこまではいい話なのですが、ここから私の頭上から大きなクエスチョンマークが生えてくるのです。作りのしっかりしたショップ袋の手提げの口を広げて、まるでかわいい子猫を自慢するかのように、大袋の中で佇む赤いリボンがついた巾着袋を覗かせてこちらに見せてくれたのです。それは何故かプレゼント用のラッピング包装がなされています。「ありがとうございました。」と、目元が笑顔の店員さんの声が響く中、わたしも返すように会釈をして「ありがとう。」と言葉を交わしてアウトドアショップを後にしました。

 

頼んだ記憶のないプレゼント用ラッピング。

なにが「ありがとうやねん」ということなのです。

 

決して店員さんが悪いところはひとつもなくて、問題はいったいどこで、そんなふうに話が流れ着いたのか。記憶を辿るが接続ポイントが見つからないのです。可能性としては、

 

「外でお使いですか?」

「はい、仕事先で。」

 

やっぱりわかりません。

もう、マスクがどうとかいう話ではなくなってしまいましたが、私より耳の聞こえの不自由な人はもっと大変な思いをされているのかと思うと、今後聴力が落ちていくのが心配になってしまいます。

 

 

雨の中を走る〜新しいバイク

雨の中を走る〜新しいバイク

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仕事帰りの夕焼け / 阪堺大橋より15号湾岸線を望む

今年は本当に雨が多いと感じます。

日記によると観測史上最速となる梅雨入りが5月の17日。例年より3週間も早い。大阪は瀬戸内海式気候に分類されるよう、どちらかというと雨の少ない地域だそうです。なので梅雨とはいえ、いつも激しく降るイメージはありませんが今年はよく降った。それでいて梅雨明けは例年通りということでとても長く感じたものです。

 

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積乱雲のたもとに虹がかかる / 2021年夏

 

梅雨が明けて本格的な夏到来と思ったら、8月に入って異例の長雨が続きました。前線が本州に停滞して激しい雨が続き、各地に被害をもたらしました。降雨量は年間降水量の半分近くに達するところもあったようです。その分、ずいぶん涼しい日々が続き、寝苦しい熱帯夜の夜もほとんどなく珍しく過ごしやすい夏でもありました。そして9月に入るとまた秋雨前線の影響で雨の降る日が多い。5月からのこの数ヶ月間、全国的に記録的な大雨が頻出し、これも気候変動の表れなのかと感じます。

 

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毎日自転車で通勤をしているのですが、雨の日の通勤で怖いと思うことがあります。それはロードバイクのタイヤがよく滑ることです。濡れた路面の白いペイントやマンホールをタイヤが通過する際、一瞬タイヤが滑って怖い思いを何度かしました。雨の時でも制動力を誇るとされるディスクブレーキですが、ブレードが雨に濡れるとずいぶんブレーキも効きにくくなります。なので、雨の日はロードバイクは乗らずに8年前に買ってサブバイク化しているクロスバイクで通勤することにしています。

 

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ビアンキ・カメレオンテ Duo / 当時はこんなに綺麗だったクロスバイク 堺浜第一公園にて

そんな訳で、ずいぶん老朽化したクロスバイクの使用頻度が今年は例年になくとても多くなりました。雨の中走るものですから砂などが一緒に噛んでしまうのか、ブレーキシューのゴムの減りがとても早い気がする。よく見てみるとホイールのブレーキシューで挟み込むリム部分が削れて磨耗して目がとても荒くなっているようです。

 

近くの自転車屋さんに見てもらうと、ずいぶん磨耗が進んでいてホイールのブレーキシューの当たり面の肉厚が非常に薄くなっていて今後このまま乗り続けると大変危険ですね、と忠告を受けた。急なブレーキで力強くぎゅっと握ると割れるかもしれないとのこと。これは思った以上に深刻な問題が浮かび上がったのでした。

 

ではホイール交換しようかなと思ったが、前後輪の新品ホイールと工賃を考える割とそれないりの出費になる。それに8年も乗っているとあちらこちらでガタが出ていて、ペダルを漕ぐとクランクの軸あたりから異音もする。スプロケットもチェーンもずいぶん消耗している。そうなると比較的新しくてしっかりした安い中古のバイクに乗り換えたほうが、雨の中を走ること前提にするのなら何かと安心なのではないかという考えに至った訳です。

 

ということで、中古のクロスバイクかマウンテンバイクを購入しようと探すことになりました。しかし、シティサイクルは別として、そもそも中古のスポーツ系のバイクを取り扱っているお店がほとんどない。ネットで調べて中古を扱っているお店を家からあまり遠くない範囲内で調べてみてあちこち回って行ってみたが、お店もバイクも選べるほど数がない。それに私の身長にサイズが合わないバイクが多い。マウンテンバイクはXSとSばかりだった。値段は2〜3年落ちがだいたい4万円から5万円くらい。

 

店員さんを前にうんうん悩んでいたら、隣のコナーで新車のマウンテンバイクがここの中古の値段にもう1万円ぐらい頑張れば手の届く値段のものがある。見てみたいと店員さんにお願いしてじっくり拝見することにした。脚立を使って高いところから恐々バイクを下ろしてもらい、汗だくでマスクをフカフカさせながら丁寧に、そして時折噛みながら私の質問に答えてくれる若い店員さんが好印象でした。

 

色々と質問をして納得し、新品の実機を前にもう何のためらいも、一切の迷いもなく「これにします。今日乗って帰れますか?。」ということになるのだが、はてこれはと思い起こせば去年の2月、スペシャライズドのカーボンディスクロードを決して買う予定で来店したわけでもないのにもかかわらず、気のいい店員さんに勧められてバイクにまたがった瞬間、「これにします。今日乗って帰れますか?。」といったのとほぼ同じ精神状態でした。

 

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GIANT 21ATX / 雨の日でも安心のマウンテンバイク

グレードとしては初心者用ということでお値段も手頃。メーカーも信頼できる。マウンテンバイクは初めてなのでこれぐらいで丁度、いやこれが一番いいのではと、思えてくる次第で中古を探していた自分はいったい何だったのか。冷静に考えて最初から安い価格帯の有名メーカー品を、という考えで大型スポーツバイク店を回ればよかったんじゃないかな。エントリークラスということでサイドスタンドにベルまで標準装備の仕様。ペダルだけ持て余していたSPDのものにつけてもらいました。

 

ということで、私のバイクの仲間が増えて、その代わり長年乗ってきたビアンキクロスバイクとはお別れ、そう処分することとなりました。勤める設計事務所のお客さんの工場移転に伴い、2013年の10月から片道12kmの通勤が始まってはや9年の日々が流れていました。その最初の時からFELTのグラベルロードに乗り換えた2017年までの4年間、ずっとこのバイクで通勤しました。それからは次女の高校の通学に使われたり、私のサブバイクとして雨や嵐の中私と共に走ってくれました。想い出がいっぱいです。ありがとう。そしてさようなら。

 

しかしマウンテンバイク、なかなか楽しい乗り物ですぞ。フロントフォークにサスペンションが入っているので段差はほとんど気にせず乗り越えて問題ない。前輪ブレーキをかけたり、段差乗り越えるときのフロントフォークがフワフワ沈む感じが何とも違う乗りものに乗っているような感覚で新鮮。

 

ただ重量がロードバイクの8kg(決して軽いほうではない)に対して15kg近くあるので感覚としてはかなり重たいので漕ぐのも疲れる。タイヤの幅も広いので走行抵抗も増えていることもあるようで、ロードバイクでの私のささやかな巡航速度に全くをもって達していないのに、2倍汗を掻いているような感じです。

 

要するにロードバイクが「長距離を走る」、あるいは「速く走る」ということにこだわって設計し軽量化されているということは、実は人間を如何に省エネルギーで高い出力を得れるかということだったのかと改めて思い知らされました。

 

yutaka.hateblo.jp

 

ちなみに最近コロナ禍で見直されている自転車。中でも普及拡大しているアシスト自転車は車体重量はおよそ20kgあるそうです。チャイルドシート搭載のママチャリだと30kgを超えるそうで、そこに例えば50kgの女性が20kgの子供を乗せて食材やらペットボトル飲料やら乗せると100kgは優に超えるんではないでしょうか。アシスト機構が備わっていて漕ぐ力は軽減されるかもしれませんが、加速しやすい分走り出したら止まりにくいはずです。ましてや、子供を乗せた状態でスマホを操作しながら走られているのを見ると心配な限りです。今のママさん時間に追われて忙しいのでしょうが一旦自転車を止めてからスマホしてください。

 

話はまたそれましたが、新しいバイクは楽しくて毎日通勤で乗っています。というのも先に書いた秋雨前線の影響で一日のどのタイミングで雨が降り出すかというのが判断しにくいので、もう最近は割り切って降水確率がそこそこ高いとマウンテンバイクで通勤することにしています。実際に雨の中、マウンテンバイクで走ってみるとタイヤが太いとか振動をサスペンションが吸収してくれるとか乗車姿勢が楽だとか色々あって、とても安定感があるのが感じられます。元々どんな悪路でも走れる設計になっているので、そこは問題ないといったところです。

 

降りしきる雨の中、レインジャケットを打つ雨音。地面や河川に降り注ぐ雨音が重なり合って穏やかなノイズ音が当たりを覆い尽くしている。そんな音を聞きながら大和川沿いのサイクリングコースを走るのは神秘的な体験をしているかのようで私は好きです。これがなければウエアが蒸し暑くて視界が悪くて、何より濡れたウエアやバックの後始末やら何やら、ただ面倒なだけですが、走っている時は気持ちが良いものです。最初から濡れて困るものなんて身につけいませんし、濡れて困るのは家内に持たせてもらっているお弁当ぐらいのものですから。

 

 

番外

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雨上がりに当たり一面に出現する毒キノコ / オオシロカラカサタケ  

大和川の河口近くの堺浜ふれあいビーチ近くの芝生のあちらこちら。雨が降った翌日に白いキノコがニョキニョキ生えていて可愛いなって。。。毒キノコです。

 

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匠町の職場に現れたキリギリス