多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

レジ袋どうなさいますか?

「レジ袋はどうなさいますか?」

 

2020年1月に日本での初の感染者が確認されて以来、新型コロナウイルス感染症パンデミックの脅威に晒される状況が続き、もうすぐ2年が経とうとしています。ここ大阪も緊急事態宣言が昨年2020年から4回もの緊急事態宣言が発出されました。最近になってようやく感染者数も数字の上では随分減ってきた、元の生活を取り戻しつつあるかのように思えます。しかし、それでも変異種が次々と出てくる状況で終わりが見えないというのが実情ではないでしょうか。前向きではあるものの依然不安は拭いきれないのではないでしょうか。

幸いというか運良く仕事も今まで通りに何も変わらず、家族で新型コロナウイルスに感染するものも出ず、ワクチンも2回摂取済み。すこし安堵できればいいのですが、実際は緊急事態宣言が解除されても私自身休日は家で過ごすことがほとんどで、個人レベルでできる感染対策は流行のピーク時とあまり変えていません。ただ、そんな中でも耳の不自由な自分にまつわる(重くない)エピソードを残そうと思います。

 

f:id:glasstic-blue:20210503064623j:plain

通天閣も夜には赤くライトアップされました

 

今回のパンデミックの中、私の生活で大きく変わったことの一つとして、誰もがそうであるように「マスクを日常的に着ける」ということでした。花粉症でマスクをしている人は年々多く見るようになっていて、それほど自分から外を見る範囲でさほど特殊な違和感を持つことはなかった。

 

しかし、自分がマスクをする、そして皆がマスクをして生活をし、職場でもどこでも顔の多くを覆われた人々同士が、お互いに意思の疎通を図り合う。それがずっと続いている。「私は着用に関して疑問を感じるのでマスクをしません」ということで「あえてしない」という人は見たことがない。まずみんなマスクをしています。それがたとえ真夏の暑さの中でもです。そういう公衆衛生を個人レベルで意識し皆で共有し合あったというのも、このコロナ禍のパンデミック以降のような気がします。

 

例えばデスクワークの仕事中、喉の調子が一時的に悪くて咳をすることも憚れるため、少し我慢して席を離れてトイレに行って咳をする。そんなことまで気遣っていました。みんながそうやってエチケットを守り、同じ空間をともにする人同士、少しでも嫌な雰囲気を作らないように周りに対して配慮している。実際には皆、マスクを着用し続けることになんの抵抗もないわけでもありませんし、不自由で不快だったりするわけです。さりとて私も煩わしくと思いながらも、世の中に同調するかのように着用を続けています。ただ、どうしても不自由で困ることもあったりします。

 

 

f:id:glasstic-blue:20210502150227j:plain

今年5月の緊急事態宣言下の阿倍野界隈

私は後天的な難聴者で、片耳があまり聞こえない高度難聴者です。もう片耳は加齢に伴う聴力の低下は見られるものの、まだ機能はしているので慣れてしまえば普段の生活には特に差し支えることはあまりありません。補聴器なども使っていません。しかし電車の車内、賑わった店内など環境音と人の話す言葉が混じり合ってしまい、話し声を「聞き分ける」ことは非常に困難です。飲み会やカラオケなどの場では話す相手の会話は半分も理解できません。ですから、話されている文脈や話す相手の表情や口の動きを読むことで聞き取れない部分を予想したり、状況を捉えたりして生活をしてきました。

 

そこにきて、新型コロナウイルス感染症の拡大で皆が一斉にマスク着用を余儀なくされると、状況が変わってしまいました。もともと聞き取りにくいのに加えて、マスク越しのこもった声が聞き取れなくなっていくのです。マスクで覆われてしまうと顔の表情や口元や顎の動きが読み取れないのです。だから、聞き逃さないように聞こえる方の耳を傾けて、視線は会話相手を斜に見ながらでも聞こうと努力する。なんとなくわかったら、そうであろう言葉を復唱して「〇〇ということですね?」とひとつひとつ確認しなければいけない時もあります。発話のはっきりした人との会話は本当に楽ですが、もともと声の小さい人との会話は少し緊張しながら間違った解釈をしないようにとても気を使います。

 

そんな中、ひとつ困っていることがあります。買い物をした時のレジでの清算時です。マスク越し、加えて透明シート越しの店員さんの話す言葉が聞き取れないのです。

 

f:id:glasstic-blue:20210331182427j:plain

桜が満開にもかかわらず花見は自粛モード

 

新型コロナウイルス感染症の蔓延の時期を時を同じくして、経済産業省が主導のもと、2020年7月より全国でレジ袋有料化の政策が実施されました。今回のマスクの着用率と同じように、みなさん足並みを揃えるかのようにほとんどの人が意識的にエコバックやマイバックを持参していて、取り組みが想像以上に浸透しているように感じます。あるいは、環境負荷に対する理解や意識付けが一定数深まった表れなのかもしれません。その時期から買い物のレジでの精算の際、「レジ袋どうなさいますか?」と店員に尋ねられるという、今までなかったやり取りがひとつ増えたのです。

 

通常の生活下においてマスク着用が当たり前になって以来、お店のレジカウンターでのいろんな受け答えも、聞き取りにくいながらもこなしてきました。でも、難しくはありません。尋ねられることは大体決まっています。

 

「ポイントカード(アプリ)はお持ちですか?」

「年齢確認のタッチパネルおねがいします。」(お酒をかったときですね)

 

これぐらいなら、透明シートに遮られたレジカウンター越しでも、マスクをした声の小さい店員さんであっても、おおよその話の流れでなんとなくわかるので問題はありません。それが、ひとつ問いかけが増えたまでです。戸惑い聞き返していたりしたのも最初のうちだけでした。

 

「レジ袋有料ですがご利用ですか?」

「レジ袋どうなさいますか?」

 

「いらない」という意味を込めて、手を横に小さく何度か振ればいいのです。たまに、「駐車券はお持ちですか?」という、イレギュラーが発生。全く理解できず何度も聞き直して恥ずかしい思いをしました。「えっ?、えっ?わからないです。」と聞き返すと、ゆっくり大きな声で「ちゅーしゃけn・・・」と話してくれる方は親切でありがたいです。まあ、それぐらいは仕方ないと思っています。

 

それがある日のことです。いつものように買い物をして、レジカウンターでレジ袋はいらないという意思を示すのですが、何故かレジ袋を付けてくれる店員さんがいることに気づきました。一旦もらってしまった以上、「いや、いらないです」といって返すのもどうか。こちらが文句つけているようだし、レジ袋も無駄になるかもしれません。釈然としないままレジ袋をさげて店を後にします。

 

一度だけならまだしも、何度も同じことが起きる。親切心なんだろうか。それともレジ袋有料の義務化に対する推進反対派なのかもしれない。それならレジ袋代が料金としてレシートにカウントされているのが筋が通らない。無料で店側に負担はかけられないとか。おそらく、こちら側の意思が逆に解釈されているのだろうと理解に至り、やり取りの中に不具合があったのか考えました。また同じことが起きないようにしたほうがいいのかなと思いました。別にいいか、とも思いました。

 

しかし、ひとつ考えが浮かぶのです。精算の際に持参したエコバックわざと見えるようにチラつかせ、誤解を招かないように「私はこうやってお気に入りのエコバックを持参している人です」、というのを暗に示せば齟齬は生じない。そう考えたのでした。これでこちらの意思を示せるし、やり取りのワンアクションもなくなり一石二鳥です。

 

エコバックチラ見せ&入りませんジェスチャーで、今まで以上にスムーズにレジが捗るようになりました。これは実践してよかった。間違いがない。しかし、しばらくしてなぜでしょうか、そこまで策を講じてもレジ袋に商品を入れてくれたり、レジ袋をつけてくれる店員さんがいるのです。これはいったいどういうことなんだろう?。

 

しばらくして自己解決に至ります。そうか、そもそもお店側の質問(レジ袋を相手が必要としているか否か)の内容が同じであっても、必ずしも問いがひとつとは限らないということだったことに気づいたのです。ハッとしました。想像します、きっと店員さんは「レジ袋はどうするか?」あるいは「必要ですか?」ということを問いかけてきたのではない。彼らは私にこう問いかけたのだ。きっとこうです。

 

「エコバックはお持ちですか?」

 

そうか、そういう問いもあるのだ。それは個人レベルの聞き方の違いというよりも、店舗ごとに接客時の対応が異なるということのようです。ある数店舗だけが問いかけが違うのです。「レジ袋が必要か」ではなく「エコバックを持ってきているか否か」の違いなのです。なのに何も知らない私は軽く会釈を交えて手を横に振り続けていたのだ。

きっと店員さん、わざわざエコバックを見せつけておいて、

「あなたにはこれがそう見えるかもしれないが、実はエコバックじゃないんだよ。」 

人を試しているような、ちょっと紛らわしい対応を迫られ、今後注意を要するサイクルジャージを身に纏った、ちょっと変な中年男性だと思われたのかもしれないと、かなりゾッとしてしまうのでした。

 

f:id:glasstic-blue:20210529113247j:plain

カラオケ店もガマンでした

あとこれは最近の話ですが、アウトドアショップにオイル注入式携帯カイロを買いに行った際の話です。いつものように性能や価格、取扱注意事項はあらかじめ下調べして買いに行ったのに、やめておけばいいのに優しそうな店員さんとの会話をしながらの楽しいショッピングがしたいがばっかりに、「これは発熱の持続時間はどれぐらいなのですか?」と私は聞いたのでした。わかっている、6時間暖かいのは調べがついている。でも、親切な店員さん、今調べますのでといってバックヤードに戻って調べてくれのです。

 

その後、聞き取りやすい落ち着いたトーンで付属品の説明とか、どういう時に使われるかとか聞かれたり、少しやりがありました。商品そのものと対応の良さを納得して購入を伝え、レジカウンターまで誘われて行きました。

 

会員カードの提示や保有ポイントの確認、支払い方法など確認。ゆったりとした落ち着いたアコースティックギターのBGMの流れる静かな店内。駐車券か?レジ袋かエコバックか?、などと聞きのがなぬよう神経を集中させ、まだ聞こえるの右耳の指向性を対象物に照準を合わせる必要など全くありません。そうやって聞こえの問題も全くなく心良く買い物ができたと満足しました。暖かいだろうなカイロ。これで仕事中の指先の冷えが解消すればな。

 

その後、「お呼びしますので、それまで店内でしばらくお待ちください」と店員さん。なぜ待つ必要があるのかわからないが特に急ぎもないので待つことにしました。アウトドアショップでは私はいくらでも時間を潰すことが可能なのです。

 

待っている間店内を見てまわり、野外で書道が嗜めるキットがあるのだと感心していると、「お客様、お待たせしました。」といって店員さんが現れます。そこまではいい話なのですが、ここから私の頭上から大きなクエスチョンマークが生えてくるのです。作りのしっかりしたショップ袋の手提げの口を広げて、まるでかわいい子猫を自慢するかのように、大袋の中で佇む赤いリボンがついた巾着袋を覗かせてこちらに見せてくれたのです。それは何故かプレゼント用のラッピング包装がなされています。「ありがとうございました。」と、目元が笑顔の店員さんの声が響く中、わたしも返すように会釈をして「ありがとう。」と言葉を交わしてアウトドアショップを後にしました。

 

頼んだ記憶のないプレゼント用ラッピング。

なにが「ありがとうやねん」ということなのです。

 

決して店員さんが悪いところはひとつもなくて、問題はいったいどこで、そんなふうに話が流れ着いたのか。記憶を辿るが接続ポイントが見つからないのです。可能性としては、

 

「外でお使いですか?」

「はい、仕事先で。」

 

やっぱりわかりません。

もう、マスクがどうとかいう話ではなくなってしまいましたが、私より耳の聞こえの不自由な人はもっと大変な思いをされているのかと思うと、今後聴力が落ちていくのが心配になってしまいます。