多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

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メガネ屋さん、カメラ屋さん

メガネ屋さん、カメラ屋さん

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来年10周年のハルカス

今住んでいるマンションに引っ越したのが30歳の頃。もう24年も前です。

越してきた当時は商業施設は近鉄百貨店、天王寺MIO、JRステーションビルにアポロビル。ちょっと外れてあべのベルタでした。今はQ'sモールが建っていますが、以前は阿倍野座商店街だった。懐かしいです。

 

それから近鉄のHoopができてandができて、阿倍野ハルカスができて9年。続いてQ'sモールが出来た頃には阿倍野もすっかり変わってしまいました。(悪い意味ではなく)。ここ数年でも、あのどことなくノスタルジックだった天王寺公園も「てんしば」としてリニューアル。ドッグランやらフットサルやらおしゃれなお店もたくさん出来て、どんどん新しいものに置き換わっていきます。そして、訪れる人々も増えてずいぶん賑やかになったものです。阪堺線チンチン電車)の始発駅も綺麗になりました。

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阪堺電車 阿倍野

そうなってくると、昔からある阿倍野筋商店街はというと、すこし時代の流れに取り残された感じはあるとは思いますが、それでもまだまだ昭和の良き時代が残っている感じがして、私は個人的には好きです。少し商店街の路地裏的なところに入ると昔ながらのお店や、「こんな店あったんだ」と、ちょっと変わった新しいお店が出来ていたりしてなかなか面白かったりするぐらいです。

 

去年の暮れのある日のこと、読書用の眼鏡の蝶番の部分の小さなネジが外れてしまい、精密ドライバーでなんとかしようと試みたのですが、使われているネジが小さ過ぎてサイズが合わず回せない。それ以前に、そもそも今なおそうとしている老眼鏡(笑)がかけられないので細かい作業ができないという事態に陥ってしまいました。これ以上どうにもできないので近くの商店街の眼鏡屋さんに修理お願いしようとお店を訪ねることにしました。

 

お店の前のショーウインドウには(失礼かもしれませんが)もう何年前からそこに佇んでいるのだろうかという感じが否めない、磨き込まれたキラキラした時計がいくつか飾られています。店内に入ると店舗の奥につながった居住スペースから気の良さそうな年配の店主が現れました。事情を説明すると「ああ、これですか。ねじちいさいもんねえ。」といって対応していただきました。とても優しそうなひとです。

 

ショーケースの中は指輪だったりネックレスだったりがディスプレイされています。壁には掛け時計や置き時計もあります。ショーウインドウの裏側がちょうど作業台になっていて、「どれどれ」といって白熱球のデスクライトを点けて目にルーペをあてがい、たくさんある工具の中から細いドライバーを選びだし、いとも簡単にネジを締めてなおしてくださいました。その後、レンズに何か塗り込んでセーヌ革のようなクロスで綺麗に磨き上げてもらいました。

 

彼はずっとあそこの作業机に座っていくつもの時計や眼鏡を修理してきたんだろうな。今はもう眼鏡やアクセサリー、時計なんて街のお店で買う人がどれだけいるだろうか。きっと、家電の量販店の方が品揃えも多く価格も安い。もっといえばネットで商品を吟味し、最安値の商品を探して購入する。今はもうそれが当たり前になってしまっています。でも、きっと昔は違っていたのでしょう。

 

時計も眼鏡も当時は、とはいってもほんの30年ほど前までは決して安いものではなかった。私が育った小さな街の時計屋さんも宝石や眼鏡を扱い、子供が一人で入れるようなお店ではなかった。高校の入学のお祝いに祖父が時計を買えといって何万円だったかをもらった。その大金を持って初めて一人で時計屋さんに入ってキラキラした時計を選ぶのはとても緊張したし、とても大人になった気分だったことを思い出します。

 

(本当に失礼かもしれませんが)今このお店に、一日にどれだけの人が訪れるでしょうか。陳列された時計やアクセサリーは新品なのにどこか少し古いもののように見えてしまいます。見せ方の問題かもしれません。もっと今の時代を見据えて、といってももうそれはもう店主も望んでいないのかもしれません。腕利きの職人さんも兼ねていただろう年老いた店主。時代の流れといってしまえばそれまでのことなのかもしれません。しかし、たった数十年昔は違っていた。高価な商品を扱い、この店に大金を持って訪れた人々がたくさんこられたのでしょう。壁に埋め込まれた大きな鋼鉄の扉の金庫がそれを物語っているようでした。

 

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(1)

 

同じ商店街にこれも昔ながらのカメラ屋さんがあります。このお店の前を通ると、いつもずらりと並べられたフイルムカメラたちを見入ってしまいます。もうここまでくると、とある時期のカメラの歴史を語る博物学的な展示品に思えて、ここだけが時間が止まったようなショーウインドウ。当時の主力メーカーの一眼レフに混じってコダックのインスタマチックや3Dカメラ、二眼レフやマミヤの大判もあります。たぶん売り物ではないのでしょうが見ていて飽きない。

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(2)

カメラとて同じこと。銀塩写真なんてもうすっかりデジタルカメラに置き換わってしまったのも久しく、今ではデジタルカメラさえも時代の変遷を経て、今度は携帯性や使い勝手のよさ、インターネット利用の日常化によってカメラとしての役割はすっかりスマートフォンに移り変わってしまいました。仮にデジタルカメラが必要になった時も、買うことさえもスマートフォンで注文してしまう。だから街のカメラ屋さんにデジタルカメラを買いに行く人は、今はもうほとんどいないのかも知れません。

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カメラ屋さんのショーウィンドウ(3)

このカメラ屋さんにも10年ぐらい前に入ったことがあります。双眼鏡が欲しくて店主のおじいさんに色々と相談に乗ってもらったり、何種類も試しに双眼鏡を触ってぞかせてもらったりしました。レンズの明るやのことやひとみ径のこと、視野範囲のことまで。現物の見え方を比較しながら教えてもらいました。そんなことを尋ねてくる人も今はほとんどいないのかも知れません。どこか得意げでこの道が好きで自分で選んで歩いてきたという印象を受けました。その店も奥は生活のスペースが見えて、ご家族でしょうかテレビの音声や話し声が聞こえてくる。

 

これもまた時代の流れとはいえ、年老いた店主がこんな時代遅れのカメラを誇らしげに飾っているこのショーウインドウの光景が、ひょっとすると近い将来もう見れなくなるのかも知れないと思うと、寂しさともいえない、悲しみとは違う、懐かしき良き時代の記憶を持ち続けながら中年世代になってしまった私自身が今、私たちより大人だったひとつ上の世代の人々の語られるべき大切な思いを、少しずつ失いつつあるのが残念に思うのです。

 

いろんなこと教えてもらっておいて、礼をいって何も買わずに店を出て、結局双眼鏡の購入はAmazonで送料無料で数パーセント値引きのあるNikonを買ってしまうのですから、時代に抗えないのは私のほうなのかも知れません。