多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

紅い巨星、ペテルギウス

紅い巨星、ペテルギウス
Красный гигант, Бетельгейзе

仕事帰りのサイクルロード。今年一番の冷え込みを感じ、明るく輝く月と深く青い夜空が広がり、白い夜間雲が流れていきます。今日はとても空気が澄んでいるので、いつもより多くの星が見えます。とはいえ、ここは都会の空。私が生まれ育った田舎の町ではもっと沢山の星が煌めいていました。

中学生の時の私は部活でテニスをやっていました。学校の校則で男子生徒は全員丸刈り。当時の運動部の部活動の風潮といえば何よりも精神論重視の指導です。そんな今の言葉でいうところのブラックな雰囲気の中、今となっては科学的根拠に乏しい拷問じみた練習内容のものばかりでしたし、今では考えられませんが水分や塩分を摂取することは許されない状況でした。当時、私は身長も低く体型も華奢だでしたので、体格に恵まれなかった中学1年生の私にとって、授業後の部活動というのは大変辛く気の重いものでした。

田園の中を通るわだちのある未舗装の田舎道が通学路だった私は、そんな疲れ果てた体と大きく重い学生カバンとスポーツバックやテニスラケットを引きずるようにして、街灯の全くない真っ暗闇の中を徒歩で帰宅する毎日でした。月あかりがあるといいのですが、真っ暗な夜道は気をつけないと、農業用の用水路に足がはまってしまうので注意が必要です。しかし、月あかりのないそんな夜はとても美しい星空を見ることができました。

私は足を止め重いカバンを少し湿った地面に置きます。そして空を見上げると満天の星が瞬いています。時折航空機がブーンという低い音とともにランプを点滅させて星々の中を横切っていきます。暗闇に散りばめられたような星たちは、実は太陽のように核融合が行われている光そのもので、何百光年も何千光年も離れた宇宙の中にそれはあり、今私はこの目で実在する宇宙を見ているのです。色とりどりに輝き渦巻く銀河や薄い衣のような赤いガス雲が、いま目前にある巨大な空間のそのずっと奥に存在する。

星空は天を覆う巨大な暗幕に穴を開けて裏側から明かりを照らしたような、そんな平面的なものなのではなく、星ひとつひとつが地球までの距離がそれぞれ異なる奥行きのある立体的な空間だと思った途端、何かにつかまっていないと夜空に吸い込まれそうな、宇宙に落ちていくような錯覚に囚われて、足元の不安定な切り立った崖の縁から永遠に続く底なしの深淵の空間を覗き込んでいるようなものなのだと。少年にとってそこは深くてとても静かで怖かった。喉の渇きや肉体的な疲労や苦痛など、超巨大で圧倒的なスケールを持つこの宇宙において、余りにも微塵であると思い知らされるのです。

あの星空から37年経ち、仕事というまた違う形で疲れていて帰宅途中、私の目前には少し見え方は異なりますがあの時と同じ星空があります。ここは周りに街灯が少なく、高い建物がないため開けた空があり、都会の中にあって比較的星が綺麗に見えるところです。冷たい風の中、私はあの時のように自転車を止め空を仰ぎます。目線の少し上に東の空に大きく傾くオリオン座があり、そこに赤い輝きを放つベテルギウスがあることを確認しました。オリオン座の向かって左側(オリオンの右肩)に位置する赤い超巨星ペテルギウス。確認したといういい方を何故したかというと、数年前に話題になったのですが、近い内にこの年老いた巨星は大爆発の後、消滅するといわれていたのです。

ペテルギウスはおよそ太陽の1000倍の大きさ、質量は太陽の20倍。地球からの距離は640光年。

学研や小学館の図鑑が大好きな小学生だった私は、太陽と地球の大きさの比較図に驚き、太陽とペテルギウスやアンタレスの比較図に至っては想像の域を超えた気が遠くなるほどの巨大なスケールに、私の感覚が全く及ばないほどでした。また、狩人オリオンと月の女神アルテオンのギリシャ神話も織姫と彦星みたいで印象的で素敵でした。

そんな少年に強烈な印象を与えた存在である巨大な星が今終わりを遂げようとしている。これは大変なことだということで、その時期は大変注目していました。手元にあるメモによると、超新星爆発するのが間近だという新聞記事を読んだのは、今から7年前の2011年。テレビのサイエンス番組でも取り上げていて、そのときのメモを今こうして読み返しています。

晩年の超巨星というと年老いた命がまるで炎が燃え尽きるように思えますが、まるで違う。凄まじいまでのエネルギーや重い金属を放出しながら大爆発を起こし最期を遂げるということです。

太陽のような恒星の中では何が行われているのか。何故、星は光り輝くのか。それは、核融合反応。まず、重力によって引き寄せられた水素原子同士が大きな圧力により核融合を起こしヘリウム原子ができていく。やがて、水素原子を使い果たすと、ヘリウム原子同士がまた核融合の反応を起こす。といったように炭素原子や酸素原子と次々にあたらしい元素が作られていく。しかし核融合反応する物質を全て使い果たし、最期に中心にあるコアと呼ばれる核の部分が鉄になると核反応が終わり、自重を支えることができなくなり急速に潰れていく。そこで超新星爆発が起こり、爆発で生じた衝撃波が星の表面に達し、眼を見張るほどの明るく輝くということです。

光り輝く星にもまるで命を宿すかのように、その一生があります。星の誕生から始まり何百万年という成長期を経て年老い、やがて超新星爆発という最期を遂げる。人や他の地球上の生物のように、何百億年とスパンが長い訳ですが、星とて命の限りがある。そして、そのペテルギウスはというと、すでに星の一生の99.9%終わっていているといわれています。そして、いつ超新星爆発が起こってもおかしくない時期に達しているということです。話題になってから7年。まだ、オリオン座の中にペテルギウスが輝いるのです。

640光年も離れているということですから、640年前のペテルギウスの光を私達は見ているということになりますが、一説によるともうすでに超新星爆発が起こっているが、その光がまだ届いていないのではないか、ともいわれています。いまから640年前といと西暦1370年代後半。日本では室町時代ですね。そんな時代の光を私達は見ている。タイムトラベルのようなことが日常的に起きてしまうぐらい、光の速度でさえもその光が届くまで何百年、何千年とかかってしまう。地球から一番遠い星はというとハッブル宇宙望遠鏡が観測した90億光年も離れているといいます。地球が誕生してから45億年とかいいますから、宇宙の空間は広大です。

超新星爆発の瞬間、そのまばゆいばかりの光は満月のおよそ100倍の眩しさに輝き、昼間でも青空に煌めくペテルギウスがおよそ3ヶ月間も肉眼で観測できるといいます。オリオン座から星座がひとつ失われるというのは今まで考えもしなかったことですが、そういった星の一生の終わりを見ることができるというのは、短い人間の一生のうちにそうある体験ではないのですから、あの少年の心を揺さぶった星の最期をこの目で見届けたいと思います。



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