多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

写真家としての夢

今日古い友人が我が家を訪ねて来てくれた。

もう十何年前の事だろう。知り合いの写真家の人が京都に住んでいて、何人かの集まりで遊びに行った。その人の写真を見せてもらったり、皆でバーベキューをしたりして遊んだ。そんな中「プロのミュージシャンなんですか?。頑張って下さい。」と彼は声を掛けてくれた。

当時僕はプロのギタリストとして東京〜大阪を行ったり来たりしていた。僕を知る人は皆「プロの〜」といって紹介した。仕方なく思い浮かんだフレーズをその時も部屋に置かれたギターでつま弾いた。それを聞いてくれて声を掛けてくれた。そのときに非常に戸惑った。今の家内に今のは男なのか女なのか訪ねたので、よく記憶している。

十年ぐらい時が流れて、僕は厄介な病気に悩まされて、通院を余儀なくされた。4年は通ったと思う。そのときに偶然病院で声を掛けられた。「何年か前に京都の○○さんの所でギター弾いていた人ですよねえ?。」僕は既に音楽活動をしていなかったし、同じように質問されても「人違いですよ。」とあしらって来た。でも。話を聞くと記憶が甦り、その時の彼だとすぐに思い出した。こんな所で知り合いに会うとは思ていなかったので驚いたのを覚えている。というより、彼の存在そのものが大きかった。彼とは言うが心は「男」でも体は「女」。そう、性同一障害なのだ。

それから暫く、お互いの病状を話したり、近況を報告しあったりした。元々、家内の英語学校の後輩という事も有り、話は弾んだ。それから、細々ながら彼との付き合いが始まった。

彼はもう何年もカリフォルニアで写真の勉強をしていて、年に数回日本に帰ってくる。なかなか会う機会が無いが、お互いの都合が良ければ会って話をするのだ。

今日は十数年付き合っている彼女を連れて来ていた。そして、初めて彼の写真作品を持って来てくれた。それがなかなか芸術性の高い作品ばかりで驚かされた。

女としての自分、男としての自分、年をとった自分。そんな色んなメークをしたモノクロの16枚綴りのセルフポートレート。6x9の重い大判カメラをもって被写体を探し求め5時間も夜の街を歩く続けて撮った夜景。深層風景のようなピンホールカメラの作品。どれも力作で素晴らしいものだった。


ファインダー越しに見える風景やカメラの話題に盛り上がりながら美酒に浸った。彼の写真芸術の夢やら、デジタルカメラ全盛期にも関わらず銀塩フィルムにこだわる話。今の日本製のデジタルカメラの「笑顔認識」の話を僕がすると驚いていた。そんなふうに時間はあっという間に過ぎて行った。

そんな会話の中、付き合っている二人を見ると微笑ましい。世の中の人はそんな関係に対して怪訝な表情を浮かべる人も多いだろう。いや、そんな事は当の二人が一番わかっているのかもしれない。そんなカメラの話を熱弁する彼を見ながら、それを受け入れ理解し精神的に支え・・・。微笑んで彼の顔を見ている彼女を見ると、微笑ましく幸せに満ちあふれている。もう数日すれば彼はアメリカに戻って行き離ればなれになるのだ。

そんな大切な時間をさいて大事な作品を見せてくれて、今日は本当に楽しい時間を過ごせた。

また、遊びにおいでよ。新しい写真をもって。



今日の一枚は、彼の作品の一部分を僕のGR-Digitalで撮影したものである