多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

蛹・メタモルフォーゼ

もうすっかり秋も深まりを見せ、華やかな蝶の季節も終わりを遂げようとしています。
今年一年を振り返ると、蝶の写真をたくさん撮りました。

中でもアゲハチョウの仲間は小さい頃から好きな蝶です。大型の蝶で何よりも華やかで整ったシンメトリーな形と模様や色が実に美しい。

この秋に入り、私は足繁く時間ができれば柑橘系の木々のあるところに通いつめ、アゲハチョウの蛹を探しています。なぜ、そこまでして探しているのか。それはただ、どうしても、一度でいいから蛹から成虫が出てくる過程をこの目で見てみたい。それだけなのです。

実はこの夏の終わりに読んだ「生物と無生物のあいだ福岡伸一著」に教授の幼少期でのアオスジアゲハの羽化の体験談の話がありました。越冬する蛹をクスノキからたくさん採集し春の羽化を見ようとした話でした。そういえば私はその蝶の羽化という神秘的な瞬間をまだ見たことがないことに気づきました。

また、時を同じくして「f植物園の巣穴/梨木香歩著」という、私には珍しく小説を読んでいる時でもありました。偶然、そこにも登場する主人公が幼少期にアゲハチョウの芋虫を飼育する話や、蛹から羽化する完全変態の話が出てきて、全く違う二つの話がまるで繋がっているように感じられたのでした。蛹というのは「芋虫としての生は終わった。」というのが今まで考えなかった視点でした。

そして蛹をみつけようと思い立ったのです。しかし、そんな思いも通じることなく、蛹はひとつもその姿を表しません。そう、見つからないのです。幼虫はたくさん見つけられるのですが。蛹を見つけるスキルというか、そういう「目」にまだなっていないということなのでしょうか。目を凝らして探し、やっと見つけたと思って心躍らせて観察すると抜け殻だったり。

この時もそうです。前の週に確かにチェックしたはずの小さなミカンの木に羽化が済んだ後の、まるで和紙で作ったかのように薄く、ほのかに透き通る蛹の殻が残されていました。もう少し早く気付くと良かったのですが。

またある時は、ハチか何かの寄生虫に乗っ取られて空っぽになったものでした。側面に二か所穴が空いていて、そこから卵を産み付けられて、中で蛹の体液を食べて成長して出ていったのでしょう。この蛹は蝶にはなれなかった。

今まで芋虫だったものが蛹の中でどろどろに溶けて、それが再び蝶の姿へと作り変えられる。それも分子レベルで再構築される。なぜ一旦全てを溶かして別の姿に変化するのか。今まで持っていなかった美しい羽やストローのような口吻。姿形や生息環境、生活スタイルや食べ物ものまで、ほとんどその全てを変えてしまう。何一つ名残のようなものも残すことなく最終形態となる。

バッタの仲間などは「不完全変態」といって、成虫の小型版が玉子から羽化し、形を変えることなく徐々にそのまま大きくなって成虫になる。私達哺乳類も乳歯のの生え変わりや、動物の体毛の生え変わりはあるものの、基本的構造はほとんど生まれた時と大人になった体を比較しても、その基本的構造は何ら変わりません。

完全変態」。幼い頃、昆虫図鑑の巻末に記された解説のページでこの言葉に出会ったとき、少し戸惑いと可笑しみを感じた記憶がありますが、まあそれは置いておきましょう。卵、幼虫、蛹、成虫と形態を変えて成虫のなるのは決して蝶だけではありません、トンボも水中で過ごすヤゴという形態があります。セミも孵化後はずっと地中での生活後、地中から這い出て脱皮して成虫になります。カブトムシの仲間の甲虫もそうですね。

まるでオブジェのように美しく形作られた蛹というカプセルの中で、有機物のスープに漂うタンパク質が再構成されて翅や口吻や消化管、あるいは神経ネットワークなども再構築していく。棘のあるこの柑橘の葉が幼虫に食べられ、消化されたタンパク質が組み替えられて、やがて蝶になる。

この地球上に最初に生物が誕生して約38億年。いろんな生物が地球上に現れて多種多様に分化していく中で、たまたま保護色となる色や、何かによく似た擬態の形態を持った生物が偶然現れ、その遺伝子が引き継がれてきた。それは理解できるのです。

しかし、ある種の昆虫が進化の過程で蛹になる。言い換えるともう一度卵のような状態に戻って二回目の孵化でもするような変異が起こるなんて、一体どういった進化の過程を遂げれば、この不思議極まりない成虫までのプロセスが説明できるのか。

可能性として、芋虫のまま成虫として繁殖、産卵ということも最初はあったのかもしれません。最終形態に組織構成を作り変えるなんて、どう考えても多くのエネルギーが必要なわけで、わざわざ複雑な過程を選択したのか、そこがどうしても腑に落ちない。

また、他の翼を持ち飛ぶことのできる動物は、進化の過程に置いて元になる何か(腕とか手のひらとか)が少しずつ翼などに変形する進化を遂げて、ようやく飛べるようになったわけだけれども、蛹→蝶という過程だと蝶はいきなり飛べたことになる。いくら何でもそれはないというか、何かが抜けている気がするのです。

かなり突飛かもしれませんが、もともといた芋虫になにか別の生物が融合し蝶として完成した。だから、そこから産卵された卵の中の遺伝子情報には芋虫から蝶になるプロセスが書き加えられたとしたら、あり得ることなのじゃないだろうかと思うのです。ミトコンドリアのように取り込まれて、今まで無かった生物が発生した。筋が通ると思いませんか。全く他の生物の進化の枠にはまらないことが不思議でならず、ずっと考えてきた疑問のひとつです。

もう蝶の姿もすっかり見なくなりましたが、まだ蛹を探しています。クスノキにはまだ小さな幼虫がたくさんいて卵まであるのを確認しました。寒くなる前にモリモリ葉を食べて越冬蛹として冬を超すのか、色んなところ覗いて観察してみようと思っています。