多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

アーチ雲とゲリラ豪雨

週末金曜日、定時で仕事を上がりました。東の空は青空と白い雲が見えますが西の空はなんだかどんよりしてそうです。サイクルバックに付けている小さな温度計では、夕方とはいえ30℃を軽く超えてます。仕事で疲れたし蒸し暑いのでゆっくり転がして帰りましょうか。

 

堺浜一号公園に入り、雑草の生い茂る芝生の中、自転車のわだちが一本通っている。腰を浮かせて凸凹未舗装路を通り抜けると入り江が広がります。岸壁に立ち西の空を振り返るとどんよりと暗い大きな雨雲の塊が近付いて来ている。モーニンググローリー?。いや違う。もっと危険な予感を孕んだ帯状の深い灰色の雲が横たわり、うねりを上げながら海上を這うようにこちらに向かっている。アーチ雲だ。これは穏やかではない。凄いのが来るぞ。

 

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積乱雲の雲底にできたアーチ雲

あまり高い建物もないこのあたりで雷でも始まったらひとたまりもない。ここから大和川沿のサイクルロードを走り、大和川を渡り大阪市の市街地にたどり着来たい。これは大変、なんとしても急がねば。とにかく、全速力でペダルを全開で回すします。湿度が高いので蒸し暑い上に疾走しているので、インナーキャップに吸収出来ないほど汗をかいて首筋に流れていきます。

 

なんとか大和川を渡り信号待ちで天を仰ぐと、海辺で見たときはまだあんなに遠くにあったアーチ雲にもう飲み込まれそう。思っていた以上に雲の動きが速い。スマートフォンの気象アプリを起動して雨雲レーダーを見ると、真っ赤に表示された帯状の雲が。これか。

 

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雨雲レーダーのキャプチャ

 

信号が青になり、また堤防沿の道を一気に走り抜けてる。今こそ毎日鍛え上げた走りを余す事なく発揮しようではありませんか。よし、逃げ切ってみせるぞ。ペダルを回せ。

 

しかし、まわりではわかっていないのでしょうか。呑気に犬の散歩とか野良猫に餌やったり、ジョギングしていい汗かいている場合じゃないですよ。

 

おそらく今までの自分の最速のタイムで26号線にでたところで、蒸し暑い空気の中に冷たい突風が吹き街路樹の梢を強く揺さぶり始めてパラパラと大粒の雨が落ち始めます。とうとう捕まったようです。

 

そうなると今度は屋根のある場所を探すことにしました。店舗や民家の軒先を借りる程度では足りない、自転車ごと雨を凌げるような大きな建造物がいい。あった、南海電車の駅とモールが併設してある大きな駐輪場件歩行者の通路に滑り込む。セーフ。少し雨に濡れたが、どちらかというと頭からの汗が多いぐらい。

 

着いてすぐでした。いわゆるバケツをひっくり返したような大荒れの豪雨。道行く人は慌てて傘を広げるが役に立っていない。諦めてずぶ濡れになる人や建屋内で外に出られず様子を伺う人々。

 

しかし、こんなに降る?というぐらい。安全装置が壊れたように盛大に。いったい何トンもの雨が地表に落ちているのでしょう。雨雲レーダーで見ると、もう完全に飲み込まれたようです。

 

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大阪市内を飲み込み始める

 

道路の側溝から溢れ出した雨水がどんどん大きくなってきたので、また一歩、一歩と建物の奥に追いやられます。

 

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施設内入り口が冠水

しかし、雨雲レーダーの予測では後10分か15分もここで雨宿りすれば良さそうです。急ぐ必要はありません。また水溜りが大きくなって来たので後退です。もう靴を濡らさずにこの大きな水溜りを歩いて渡るのは困難な状況です。

 

しばらくすると予想通り雨は何事もなかったようにぴたりと止みました。雨が残る事なく。これでなんとか家に帰れそうです。走り出して気温がぐっと下がっている事に気づきます。冷蔵庫の扉が開いたようにひんやりとしている。手元の温度計では25℃。この半時間前の32℃からおよそ7℃も下がっていることになります。急激な気温の変化です。

 

現代の科学的な解明により、複雑な自然現象の発生のメカニズムが今日一般的に知られるようになる以前、こんな荒れ狂うような豪雨と過ぎ去ったあとに残ったヒヤリとした冷気は昔の人々の目にはどう写り、どう捉えていたのかのでしょうか。

 

小さな頃、夏には激しい夕立が頻繁にありました。遠い記憶ですがほぼ毎日だったような気もします。農業を営む実家では稲作においては恵の雨でしたが、子供の私には恐怖でしかありませんで。絵本に出てきた雷が太鼓を叩いて暴れているということしかイメージできなかった。頭抱えて小さくなって怯えている私を見て、耳の聞こえなかった祖父は新聞をめくる手を止め、こちらに向かって優しく微笑んで見守ってくれていました。

 

あまりにもひどく雷が鳴り出すと、祖母が踏み台を出してきて天井近くに祀られた神棚にロウソクの日をとぼし、なにやら唱えていたのが子供心に恐怖心を煽られたようで怖かった。大人でもこれは大変だと思い、最後の神頼みのようで。

 

今ではコンピュータで気圧の変動や地形や細かな風向きなどでかなりの高精度でその後の予測が可能になり、この20年、30年で技術が発達したおかげで私達は様々な恩恵に預かっているわけですね。まさかスマートフォンというこの薄く小さい賢いコンピューターをポケットに入れて持ち歩き、雨雲レーダーが閲覧できるようになる未来を私は予想だにしなかったのですから。SF映画か何かのような個人と個人を繋ぐ高度な通信手段の登場は思い描けたとしてもです。