多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

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実家のツバメの巣

実家のツバメの巣

鳥たちは繁殖のシーズン。東南アジアから遥々飛来するツバメたち。毎朝、通勤で通る河川敷でも大阪市内の街中においてもツバメをよく見かけます。すいすい流れるような機敏な動きで飛びながら空中で虫などをキャッチして捕食しています。

先日、よく訪れる植物園内で十数メートルほどの狭い範囲を飛び交うたくさんのツバメに遭遇。

なんじゃこりゃって感じで、道行く人々もスマートフォンでビデオ撮影されていまた。餌となる虫が飛び交っているようにも見えないし、なんか遊んでいるというか、戯れているというか。ひょっとすると俊敏な飛翔能力を誇示することがパートナー選びに優位に働くのかなとも感じました。

そういえば実家でも毎年のようにツバメが巣を作っていました。方言かもしれませんが「ツバクロ」と呼んで親しまれていました。翼が黒いからツバクロなのでしょうか。

毎年うちにやってくるツバメはなぜか軒先ではなく家の中に巣を作っていました。我が家で「木屋」と呼んでいた農作業の鍬や鎌など道具を置いたり、一輪車(もちろん運搬用です。)や自転車や私のオートバイなどの置き場ような使い方をしていた建屋がありまして、そこの木の水平梁に巣作りをするのです。それが毎年春の訪れを知らせてくれた。私が物心ついたときから、つい数年前まで。だから、当時の大人たち(祖父母もまだおりました。)は気を使って木製の引戸を少しだけ開けておいてツバメが出入りできるように配慮してあげていました。田舎なものであまり施錠する習慣もなく、いま思えば平和なものです。

わざわざ人が出入りする場所でどうして営巣するのか。実は民家のほうがが天敵となるカラスが寄り付かないだとか、そういった理由があるそうです。しかし、家では昔から常に木屋でネコを飼っていたし、あろうことか同じ建屋内のツバメの巣からよく見えるに場所に置いたダンボール箱がネコの寝床という状況。そんな環境でツバメたちはなんとも無かったのでしょうか。片時も心穏やかではなかったはずでしょうが、それでも毎年やってきて同じ巣は使わず新しい巣を作って子育てをするのですから、屋外でカラスの襲撃を受けるより不安は残るものの比較的安全な場所だったということかもしれません。

農作物に影響を与える害虫を捕食してくれることから益鳥とされ、農家にとってもありがたい鳥なので軒先を気軽に提供する互恵関係を結ぶ人とツバメの関係性。それを糞害があるからという理由で巣を撤去したり害鳥扱いされている昨今の事情を見ると少し気の毒でなりません。実家では糞が落ちるところにダンボール箱の切れ端を置き、その上に古新聞をのせて、風で飛ばないように四隅を握りこぶしくらいの大きさの石を乗せた「糞受け」をこしらえて対策していました。糞が落ちて汚れたら古新聞だけ交換していました。

逆にスズメは稲穂を食い荒らすので害鳥扱いでした。稲穂が垂れ始めるとそれを求めて穀物に群がるスズメを退治するため、太陽の光を反射してキラキラと光る色付きのテープを張り巡らしたり、時限式で一定間隔で爆発音を轟かしてスズメを懲らしめる爆音機まで登場するのです。農業というものは過酷な重労働に合わせて自然が相手ということで、天気に左右されたり害虫や病気にやられたり。日本の食を支えるために勤勉な両親が額に汗してようやく実り付いたものが、いとも簡単に奪われてしまうのを為す術もなく手をこまねいてただ見ているだけでは済まされない。農家の切実な思いをずっと近くで見ていました。

都会ではというと、のどかな公園のベンチに座り家から持ってきたパンやお菓子などをスズメたちに与え餌やりしている光景をよく目にします。お世話をして集まるスズメたちと戯れていたいのでしょうか。小さな命を育んでいる気持ちになるのでしょうか。ツバメとスズメの扱いが田舎とは正反対で最初は驚いたもので、今でも決して快く感じていません。ああ、スズメの話じゃなかったですね。ツバメ、ツバメ。

話がまた脱線しましたが、私の実家にはトイレが二ヶ所ありました。住居内のトイレとはまた別に、農作業の途中でも長靴を脱がず土足で使えるようにと木屋の中にもトイレがありました。夜にそのトイレに行くと片方の親鳥が裸電球の配線のケーブルにとまっていてる。もう一匹はおそらく巣の中で抱卵しているのでしょう。人の気配で逃げるかなと思っても逃げない。50cmぐらい横を通っても逃げない。眠っているわけではなく起きていて、ちゃんと注意を払っているというか見張っているというべきなのかもしれません。抱卵するメスを守る勇気あるオス。

なんか懐かしい写真が出てきました。撮影は2011年5月3日。ゴールデン・ウィークに帰省した際に、当時まだ小学4年生だった次女が理科の授業の発表で使いたいのでカメラで撮っておいてほしい、ということで撮影したものです。裸電球のケーブルを巣が飲み込んでいます。そしてこの時もこのツバメの巣の下にはこの子がおりました。幼鳥が誤って落下しようものなら一溜りもありません。

しばらくするとヒナがかえって賑やかになり、親鳥は忙しくなります。ヒナは大きく口を開けては餌を要求し、その旺盛な食欲に何度も何度も親鳥は餌を運び続けます。気がつくと巣に収まらないぐらい成長した雛鳥が巣から溢れんばかりになり、最終的には親と一緒に電球のケーブルにずらりと並んで、羽ばたきの練習を始めだす。成長が早いというか、そうなると巣立ちも間近となります。四六時中餌を運んで食べさすというのは、実は早く成長させてしまうことが天敵から幼鳥を守る最も有効な手段なのかもしれません。

数年前から80歳半ばまで両親二人で営み続けた農業も高齢のため廃業してしまい、人の出入りが減るとツバメも巣作りに来なくなってしまいました。足腰が弱くなってきて用心のため施錠するようになったこともあるのでしょう。

そんな両親も去年、今年と続け様に亡くなり、空き家状態となってしまった今ではツバメが出入りどころか、ひと気のない寂しい巣の後だけが残るばかりです。日本に渡ってきて必ず同じ場所に戻ってくるいうツバメ。あの場所で育ったツバメが巣作りのため戻っては来たのかもしれません。きっと、どこか違う家の軒先にでも巣作りをしたことでしょう。私とて、両親がいなくなると誰も待ってくれる人のいない実家に帰省することもなくなってしまいました。

俊敏な動きで大きな弧を描きながら空を舞うツバメの姿に、懐かしい日常の思い出が重なり、深い郷愁に駆られる思いでした。