多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

メジロとカンヒザクラ


一昨年のリベンジをかけた人間と野鳥との壮絶な戦い。

ではなくてですね、去年あれほどうまく撮れなかったメジロを、今年こそはこの高倍率レンズという武器でデジタルカメラの光学素子という名のカゴに捕獲してやろうと。今年こそ、なんです。この小さな記録媒体に無理にでも焼き付けて固定してやりますよ。ごめんなさいしてもダメです。

このすばしこい小さな小鳥の撮影に技術のなさから苦戦している時、ふと面白いことに気がついたのです。


よくよく観察してみると、このカンヒザクラの花の形とメジロの頭部からくちばしにかけての形状がよく似ているのに気づきます。あるいは、小型の鳥類に蜜が吸いやすい形状になっている、というべきでしょうか。ちょうどくちばしと頭がすっぽり入る「お面」のように。

花びらあたりが顔にあたって、雄しべだか雌しべだかの根本にある蜜のある部分にちょうどくちばしの先端が届く。そんな位置と形状の関係がうまく合致しているというのは、やはり偶然ではない、長い時間かけてそうなっていった、というような事を考えてしまうのです。

小学校の時に読んだダーウィンのフィンチのくちばしの話をふと思い出しました。

生物がある世代において頑張ってその特徴を変えた「獲得形質」は遺伝による形質の保存はなく、その自然環境において優位に適した特徴をもつ個体が、より多くの遺伝子を残せたという「適者生存」。

美容外科やら無理なダイエットなど駆使して美を追い求め、それによりステイタスの高い異性を獲得出来てたとしても、その努力と形質は何ら子孫への遺伝に影響は及ばない。という事実は、かの整形大国の方々にすれば自然に対する畏敬の念を抱かざるをえないのでしょうか。などど。

強い意気込みも及ばず、写真はうまく撮れませんでしたが、フォトショでなんとか誤魔化して公開。(光学的な補正であり、形状の補正にあらず)人間の女子の方がよっぽど明らさまな加工をしていると思えるほど少しだけ補正。