多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

音楽と向き合う

去年の9月14日から練習を始めたタランタ「Callejon de la Luna」(月の小径)がようやく弾けるようになった。

一年先を見越した壮大な計画でスタートし、何度も挫折しそうになったり、回り道をしたりした。でも、まだ自分の中で100パーセントの仕上がりではないし、その道の達人からすればまだまだといった所だろう。充分弾き込んだつもりだが、いまだに苦手な箇所がところどころあるし、気を抜くとフレーズをド忘れしてしまう。しかし、この曲と真剣に向き合ったこの一年は僕の音楽人生の中で最も集中して練習した一年となった。難局に取り組むという貴重な体験だったし、たった一曲だったが学ぶべき事柄や得るものの多さに驚かされた。時間を掛けて苦労して体得したものが価値のあるものに実っていく。

自分(人)が譜面を読み理解・解釈して楽器を奏で、その生音を直接自分(人々)で楽しむ。こういったアナログで原始的な行為こそが、音楽の原点であって本来の価値なのではと思う。
音楽もレコードやCDといったパッケージという「形」を買う時代から、ネット配信を介して「無形のデータ」を保存する時代。音楽を供給するレーベル側のパッケージ料金や流通コストの削減が、買い手側の利便性や価格の引き下げのに対する需要が延びた結果とはいえ、上手くは言えないが少し残念と言うか寂しい感じがしてならない。

そんな時代だからこそ、逆に延び始めているのがコンサートやライブだそうだ。アーティストのコンサートチケット収入は高額で安定しているので、アーティストも音楽レーベルも一番力を入れている。もちろん、ファンは本人の歌声や演奏を同じ空気の中で味わえるのだから、これこそが本来のあり方なのだろう。お手頃なCDより感動し体感できるコンサートの方が価値が上に決まっていると思う。

だからこそ、これからもずっと楽器を演奏する「演奏者」であり続けたいと思う。特にプロとかでは無くて、音楽を発する側でという意味であり、その延長線上にまたどこかで自分で楽曲を書きたいという夢でもある。音楽に真剣に向き合う時間こそが、僕自身の目標とか安らぎだったり心のよりどころなのだと、この一年で改めて感じられた。


・・・今日の一枚は、どんどん落日の時間が早くなって日が短くなって、どんな秋の夜長を過ごすか考えていたら、小さな鉄塔が巨大な弦楽器に見えた瞬間。