多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

ギンヤンマの翅

例によって例のごとく、すがすがしい春の朝、自転車で通勤。風は冷たいですが、寒さは感じません。今週から薄いウインドブレーカーを脱ぎ、半袖のTシャツにアームカバーとう装いに変わりました。到着後は少し汗ばみますが、気分のよいサイクリングでもしているかのようです。

道中、色鮮やかな軒先にほころぶ花々を見たり、軽快なテンポで響く野鳥のさえずりに耳を傾けたり、大和川の浅瀬に泳ぐ魚たちの影を追ったりして、季節の移ろいを楽しみながら走っていると、やはり自然のというものは、折にふれ人々の日々の営みに色合いを添えてくれるものだと思うのです。

こんな都会の真ん中でも、注意深く見ると自然はいたるところに存在します。それを見つけるたびに子供の頃に帰ったような、そんな気分になり、そのささやかで他愛のない感情をなんとか残したくてこの文章を書いています。

今日は朝から大収穫です。出向先の自転車置き場で見つけました。池や川もないこんな湾岸地域に何処から迷い込んだのでしょうか、大きくてきれいなギンヤンマを見つけました。死んでいる訳ではなく脚は動かしますが、少し弱っているようで羽ばたくことができません。そっと、サドルに乗せて撮影。

その後、小さな枝に乗せてやりましたが、帰る時には暗くて、その後の行方を確認できませんでした。なんとか飛ぶことができたのか、それとも大空を舞うことなく最期を迎えたのかわかりません。

翅のその美しき形状に心が躍ります。自然界のデザインって本当に素晴らしい。植物の葉脈や樹木の枝、心臓から毛細血管に至るまで。何か同じ法則に基づいているのでしょうか、複雑な分岐を繰り返すパターンは至るところに見られます。

先にあげた例は流れ、或いは成長の過程という場合もあるかもしれませんが、太いメインとなるものから、分岐を繰り返すごとに徐々に細くなっていくのに対し、河川は細いものが集まって太いものへと逆の方向に収束を繰り返した結果、同じパターンが表れるというあたりが大変興味深いものです。

撮影したトンボの翅の模様を画面を拡大して、まるで虫眼鏡を覗き込むように昆虫観察を楽しんでいます。