多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

築港赤レンガ倉庫

ようやく週末になり、前日の夜から用意していたカメラと三脚持って、仕事帰りに寄り道。今日は中央線で大阪港まで出て、赤レンガ倉庫を目指す。

いつもは、大阪港下車して北側の天保山界隈をぶらぶらするが、今回は南側を散策。4番出口を出て、コンビニの角を南に下って2ブロックぐらい数百メートル進むと・・・何も無い?。ちがうちがう。・・・左折(東)してしばらくすると、立派なレンガ造りの倉庫群が現れる。

横浜や函館の赤レンガ倉庫は有名だが、大阪にもかなり地味だが存在する。大戦中はこの界隈はかなり米軍による空襲の被害を受けたようだが、この倉庫群は難を逃れ当時のままの姿で残っている。大阪にはこの倉庫のみならず、当時の最先端の立派なモダン建築の建物が数多くあったようだ。今は数少なく文化財要素の強いものだけが守られている。

しかし、同じく昭和初期に建てられた、大阪市中央公会堂大阪府中之島図書館は大阪市が保存してくれるが、商業ビルとして建てられたモダン建築の南海ビルディングや阪急ビルディング(どちらもいい建物なんだが)が建て替えられるのは寂しいものだ。このレンガ倉庫のように市に移管出来ない訳だから仕方が無い。

そうやって、どんどんこの街は変わっていく。

近所にいきなり空き地が現れ、工事が進みハイソな高層マンションなんかが建つ。前は何が建っていたのか何故か思い出せない。付近の景観も整備され風景も何だかすっかり変わってしまう。数十年続いた風景も数ヶ月の激変であってもすぐに慣れてしまい、元々何がそこに存在していたのか記憶が不確かになり、そのうちにそこにかつて存在していた今とは違う光景すら記憶の底に沈んでしまう。

それなのに、記憶の断片すらない初めて見る昭和初期の建造物に出くわした時、モノクロームな残像にもにたノスタルジーを感じるのは、いったい何がどうなっているのだろうか。郷愁(ノスタルジック)というものは小説や映画等のメディアが作り上げた空想の並列化された共通概念であり、自らの記憶の一部なのかすら、もはや曖昧である。