多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

プラネタリウム

長女が何だか最近天体に興味を持ち出して、図書館で天体観測や星座の本をよく借りてくる。外で元気に遊ぶタイプではなく、本を読んだり、絵を描いたりするのが好きみたいである。いわゆる「インドア派」だ。僕もサイエンス系は大好きなので、小学3年の娘とは話が合うので面白い。

ベランダから夜空を見上げ。「あんまり星が見えない。」といつもがっかりしている。僕が育った田舎は、今でこそ住宅が何軒も建っているが、昔は田んぼばかりでオマケに街灯が全くなかったせいか、本当にキレイな星空だった。うっすら山の稜線がわかるぐらいで真っ暗だった。そんな夜空は当たり前の光景で有り難くも何ともなかった。

星が瞬き、天の川が夜空を流れ、一晩に何度も流れ星を見た。ずっと見ていると吸い込まれそうで、心がキリキリ音を立てた。大人になって大阪に住むようになって、「銀河鉄道の夜」を読んで、遠く離れた実家で見た星空をよく思い出した。BGMはFMラジオの「ジェットストリーム」をきいていたな。

そうだ、プラネタリウムを見に行こう。そう思い立ち、娘二人を連れて大阪市立科学館に行った。

定員300名の館内は満席。2時の開演を目指して1時に着いたが、既に満席のため4時のチケットを買った。それでも残り30席だったので、危うく逃す所だった。4時まで時間を持て余すかなと思っていたが、館内の展示場を観て廻っていたら逆に時間がなくて、2階と1階はほとんどゆっくり観れなかったぐらいだった。

プラネタリウムの会場に入ってゆったりした席に座った。開演前のスクリーンに、「椅子はフランス製」というのが何度も出て来ておかしかった。そうかそうかフランス製か。凄いな。フランス、フランス。

45分間の上映中、6台のプロジェクターからデジタル映像が映し出される。映像はシャープで美しい。音楽も良いしもちろん音もいい。素晴らしき最先端技術である。そして録音ではなく専門の解説者が心地よいトーンの声で生で解説してくれる。

「大阪の街は夜景の光のため、肉眼ではこの程度の星のしか観る事は出来ません。ちょっと、街の灯りを消してみましょう。」そう、解説者が優しく話す。充分奇麗だと思っていたが、こんな物ではなかった。記憶を辿る。そして、街の灯りが急激に消え、数千の星が僕の目の前に現れる。そうここはバーチャルな空間なのだ。

場内が一瞬ざわめき、ため息が漏れる。デジタルで作られた擬似的空間に僕の体は浮き上がったような感覚が襲う。そして、少年期や思春期の僕の記憶までリアルに甦ってくる。僕の視神経や記憶をまるで操作されている感覚に陥るが決して不快な物ではない。むしろそれは心地よくいつまでも終わらないでいて欲しいと思うぐらいである。

帰り道、10年ぐらい前によく歩いた土佐堀川沿いの小道を駅まで歩いた。この近くに設計の仕事の得意先があって、打ち合わせや納品の帰りに息抜きに歩いた道だ。しばらく来ないと風景は一変していた。高層ビルがあちこちに建ち、遊歩道はホームレス対策か虎ロープが張り巡らされていた。

小学校の頃借りた星座の本や、友人と流れ星を眺めていた事。10年前の仕事の事やら、最新のデジタル技術。や色んな事が、僕の中で交錯していた。戯れる娘達をみて、本当の瞬く夜空ではなく擬似的なプラネタリウムの光景が彼女達の子供の頃の思い出になるのだろうか。