多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

一日遅れのクリスマスケーキ

街の至る所にきらびやかな電飾が飾られ、クリスマスムードが漂う。イベントコンサートがあちこちで行われ、クリスマスソンングが流れる。恋人達も年に一回のロマンチックな夜に酔いしびれ、プレゼント交換しておいしいものを食べる。

我が家のちびっ子達もサンタさんのプレゼントは数ヶ月前から楽しみにしてるし、家内も腕を振るって御馳走作り、洒落たケーキを食べて友達家族と一緒にシャンパンを開けて多いに盛り上がる。楽しい一時だ。

この時期になるといつも自分の幼かった頃の事を思い出す。

僕の実家はクリスマスとかそういうのはかなり無頓着というか、何もイベント的な事は無かった。まあ、今程クリスマスは家族で楽しく過ごそう、というようなうかれた風潮は現代に比べてあまり無かったの知れない。いつもと同じ質素な夕食で、ツリーも無ければプレゼントももらった事が無い。貧しかったのは事実だし、両親が仕事一辺倒でそういう事に全く関心が無かったからだ。だからといって親を責める気は全くないし、当時何処の家族もそうだったんじゃないかと思う。

僕の叔父が当時スーパーマーケットに勤めていたので、毎年売れ残ったクリスマスケーキを一日遅れで持って来てくれた。それが毎年楽しみでとても嬉しかった。砂糖で作ったサンタやチョコレートの家、「Merry X'mas」と書かれたホワイトチョコレートのプレート。家族7人で切り分けた僕のケーキの上に、いつも母親がそれを乗せてくれた。クリームはバタークリームなので、今のケーキに比べればあまり美味しくなかったのかも知れないが、みんなで「おいしいね、おいしいね」って言いながら食べたのを思い出す。

貧しかったかも知れないが、祖父母と両親と姉と兄の7人に可愛がれて何の不安も感じなかった。幸せだった。

クリスマスプレゼントなんてテレビに出てくるような、暖炉がって(もちろん煙突がある訳で)大きなツリーが飾られて、七面鳥を食べるようなお金持ちの家にしか来ないものだと、小さいながら薄々感じていた。マキを割ってそれでお風呂を湧かしていたので家にも煙突があったが、太ったサンタさんがそこに体をねじ込めながら入るのにはいささか小さすぎる。

そんな中、一度だけサンタさんが僕の家にやって来て、枕元にプレゼントを置いてくれた事があった。目が覚めるとお菓子のいっぱい入った銀色の長靴があった。嬉しくて嬉しくて長靴を抱えて朝食を作る母の元に行き、それを見せると「まあ、よかったねえ。」と言ってくれた。兄に見せても「よかったな。」と言っていた。

今こうして大人になって家族を持つようになって、店先に並ぶお菓子の長靴やそれを買う人を見ると何だか心が温まる。