多弦楽器の暴奏

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

心よりいず、願わくば再び心に至らんことを

台風一過

いつもそうなのだが、今回も大して台風らしさを感じる事無く、不完全燃焼。
亡くなった方もおられるのに、何と不謹慎きわまりないが・・・。

いつもいつも「台風直撃!」と言いつつ、やんわり風が吹いてそれなりに雨降っておしまい。大阪で暮らし始めて。やっぱり「自然の猛威には人はかなわない。」、という思いをほとんどした事がない。これは、至って幸いなのは承知している。でも、危機意識が無いどうしようもないボケた僕に「喝」をと思っているが、なかなか目が覚める程の身の危険に直面する事も無く、不幸にも今に至る

幼い頃、田舎の実家での記憶を辿る。

台風が来ると必ず、変な言い方かもしれないがワクワクした。何故なんだろう。外は暴風で樹木がうねり軋む。河には濁流が物凄い勢いで流れ、大人達は子供に「近づくな。」とか「見ていると目が回って河に落ちるかもしれないから、河を見るな。」とか言っていた。必ず停電が起きてロウソクをともし、ひっそり家族みんなで過ごした。お風呂もロウソクの灯りではいったのを覚えている。自然の力の怖さより、7人家族が一つになって台風をやり過ごしたという事が、当時幼かった僕にとって、とても印象深い出来事だった。

そして風が強くなり河川の氾濫の危機が迫ると、必ず父は懐中電灯を持ち雨合羽を着て出かけた。稲の様子を見るためだ。万が一の事を心配してお袋と姉が必ず止めるのだが、親父はきかない。台風で稲が倒れると大変なのだ。それは一家の主(あるじ)としての責任感の現れだったのかもしれない。その糧で僕たち兄弟や家族は何の不安も無く暮らして来れたのだ。親父は台風ごときで今の生活を奪われるのは避けたかったのだろう。吹き荒れる大自然の猛威の中、なす術も無く全てを失ってしまっても、ただ指をくわえて見ているだけなんて耐えられなかったのだろう。そしてそこに「父親」というとても強い存在感があったのだ。僕も当時の親父の歳になってみて、痛い程それが理解出来る。

今は地球温暖化防止とかいろいろとエコ化が進んでいる。僕達人間は地球に対して酷い事をして来たのかもしれない。でもね、思うんだ。地震や台風、異常気象で年間どれだけの人が亡くなっているんだろう。どれだけの生活が奪われたのだろう。昔はそれを天災と呼んだ。しかし、このジレンマをどうすれば良いのだろう。自分にとってどう位置づけすれが良いのか解らない。

台風一過。梅雨特有の淀んだ空気が今日は澄んでいる。遠くの物がくっきり見えて、素晴らしいグラデーションに出会えた。